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目次はじめに T. 何故今永く愛される建物か U. 永く愛されるには V. 永く愛されるためにW. 永く愛される建物を作る為に(提言)X.100年後の街並み Y.
200年住宅を注文するエピソード
トピックス『ニューアンドクラフツ』トピックス『建設環境コーディネーター』トピックス 『土地問題と永く愛される建物』 トピックス『NPOと永く愛される建物』 トピックス『日本民家に学び直す』 永く愛される建物 『まとめ」
X.100年後の街並み
●平均寿命75歳
人間の平均寿命は国によって違うが日本では80年に近い。其れに比べて建物の平均寿命が(平均使用年数)34年であるという事実をどう考えたらよいであろうか。我々は、家のことを一生に一度の買い物といっているが、実際は一生の半分も住んでいないのである。この現状を変えるための提言を前章で言ってきたがそれだけでは十分ではない。基本は国民の変える為の情熱である。情熱を掻き立てる為には、それを促す夢や目標がなければならない。100年後の街並みを見たときそれが夢の街並みとして実現している為にはまず満たされていなければならない条件がある。それは、これから一歩づつ作り上げていく街並みの大半が残されていかなければ、波打ち際の砂浜の上に建物を建てつづけるようなものである。100年住宅が言われてきたが、100年住宅では十分ではない。少なくとも倍の200年はもつものでなければ100年後の街並みを思いどおりに作り上げる事は出来ない。災害など社会条件でやむを得ず取り壊される建物はかならずある。永く愛される建物が200年もっても平均使用年数は70~80年が精一杯であろう。建物の平均寿命75歳というのはそういったことである。 では100年後の夢の街並みはどういった街並みであろうか。その具体例は世界各地にあるが、当然同じものであるわけではない。日本には日本の街並みがある。それは、日本の伝統を生かしながら、土地、土地の魅力を生かしたものとなるであろう。鳥取県赤崎町光の部落の「鏝絵」のように、住民の気持ちが一つの形に収斂していく事が望ましい。簡単な事ではないがそれぞれの街が考える事である。それが、住民の誇りになるような街並み。それを作り上げる事は住民の利益になる事は間違いない。
19世紀のイギリスにおけるラスキンの建築保存運動がウィリアム・モリスのアーツアンドクラフツ運動につながり、イギリスの街並みに大きな影響を与えてきた。建築を芸術としてみる考え方があるが、永く愛される建物を作り上げる為には、その様な考え方を取り入れる必要がある。言うなれば、ニュー・アーツアンドクラフト運動の提唱である。永く愛される建物の出現によって、建設される建物の量は半減するが、建てられるものは量産規格化の住宅ではなく、芸術の域に達した、職人の手になる個性的な住宅である。コストは上がるが三倍永く使えば安くなる。永く愛する事は利益になる。しかもその事によるメリットはコストだけの問題ではなく派生的に出てくるメリットが多くある。それは人の暮らしにそのものに関わる事である。
●調和の中の美しさ
個性の尊重される社会、それが21世紀である事は誰もが賛成する。しかし、個性の集合体としての街並みを考える場合、個性を求められるのは街並み全体としてであって、個別の建物は完全な調和の中に存在してもらわなければならない。スペインのバルセロナにガウディーの住宅がある。個人的な好みを言えばなかなか面白い住宅ではあるが周囲の中で際立って目立っている。寧ろ調和を壊しているといったほうが良いと思う。個性と調和、この関係のあまり良くないのが現在の日本の都市の都心部である。一部の例外はあるが(札幌や京都のように)大半は古くから自然発生的に出来上がった街で、まるでごった煮である。
各地で景観条例なるものが制定されているが、多くは一般的な美観を損ねるものの制限であって、統一的な美しさを作り出していくエネルギーはない。私権の制限に繋がるから簡単ではない事は分かるが、制限ということではなしに、統一的な方向に協力する住民にはなんらかのインセンティブを与える事で調和のある街並みを次第に実現していくというのはどうであろうか。例えば、現在でも鳥取県赤崎町の光の部落の人達が「鏝絵」に共感を持っているとして、家の外壁に「鏝絵」を採用したら、その部分に対しては補助金を出すとか、古い{鏝絵}の修理を援助するとか、その様な方法で全体の調和を図っていくしかないであろう。その他、公的な部分は住民の意志を集約して出来るだけ統一的な景観を作り出していく事である。都市の再開発の場合、公開空地が作られるが開発者の好みで、点でバラバラな広場が出現している。これなどは、行政の指導で統一的な広場を作っていく事は出来るはずである。ヨーロッパの街角にあるパティオなどさりげなく街に溶け込んでいるものが多い。大きな公園の整備も良いが景観作りには街角が大切である。そんなに気張らないでさりげなく雰囲気をかもし出す小さな広場、そんな広場が100メートルごとにあるとしたら散歩もより楽しいものになるであろう。地下鉄や道路の整備も必要ではあるが、小公園それも生活に潤いを与えてくれる小公園、住民を繋ぐ小公園、出来うれば、小動物のためのビオトープの役割を果たしてくれたらもっと良いと思う。旅の楽しみは日常からの脱出である。何処に行ってもミニ東京という事のない個性ある街づくり、それは調和という薬味が効いてこそ実現されるものである.旅の楽しみが増える事を期待して止まない。
●豊かな資産
相続税法が資産継承のネックであるという事は事実であるが、相続税をゼロにするわけにはいかないだろう。ではどの程度なら良いのであろうか。現行法で、子ども二人の場合、控除額は7000万円である。結婚を考えると子ども二人で1軒の家を無税で継承できれば良いと考える。土地の値段は千差万別であるが、かなり高めに坪百万円とする。一戸建ての場合、豊かな資産とはどれ位といえるであろうか。欲を言えばきりがないが、60坪あればまあまあであろう。それだけで6000万円である。その上に延べ坪60坪の家であれば、三世代同居は可能であろうが、坪80万円で4800万円である。固定資産の評価額はその7掛けくらいであろうから家だけの資産の継承ならたいした税金は掛からないし、少し古くなれば税金の問題はなくなるといっても良い。前に述べたように30年以上の住宅の価値をゼロに査定する事にすれば、他の多少の財産があっても相続税は生じない。問題は1億1千万に近い住宅を誰でも買う事が出来るかという事である。しかし、これを三世代かけて負担していくと考えると一世代あたり3500万円である。勿論リフォーム費用やメンテナンス費用は別途掛かるが、それはそれぞれの世代が3軒の住宅を造っても同じである。問題はそれだけの長期ローンが組めるかという事である。現在の低金利の時代でも一億近く借りれば金利だけで月25万円になってしまう。60年返済でも返済部分は15万円、合わせて40万円では二世代協力して返済してもかなり厳しい。では建物部分だけではいかがであろう。約半分になり、二世代が協力すれば不可能ではない。では土地はどうするか。土地は借りるのである。国有地は年間1%の賃料即ち年間60万円、月額5万円。あわせて25万円なら二世帯で負担できなくはない。ではそんなに大量の国有地が提供できるかという問題が残るが、民間の土地を利用する場合には、この100年住宅の企画に合うものに宅地を提供した場合固定資産税と相続税の免除、それに1%の奨励金をだす事で民間の協力を仰ぐ。定期借地権の100年版である。
なんでも行政に頼ると思われるかもしれないが、無駄な公共事業に税金を使うよりも国民に良好な資産形成をさせる、恒産を得させて気持ちを安定させる。これこそが政治の役割であり、使命である。
結論として、豊かな資産、100年住宅(耐久性能は200年)実現の為の条件としては次のものを挙げる。
1.一戸建て住宅の敷地は60坪以上。
2.述べ床面積は3世帯同居用60坪以上
3.集合住宅の一戸の大きさは40坪以上、三世帯同居可能とする。
4.集合住宅における住宅部分とコミュニティエリアの比率は7:3以上。
5.公開空地はビオトープとする。
上記の条件を有する住戸には、何としても実現可能なように援助の手を差し伸べる。総戸数では日本の住宅は必要な数を満たしている。しかし豊かな資産という点からは程遠い。豊かな資産と呼ぶには{広さ}と{ふれあい}が足りないと思う。それに、建物の外壁を含む住環境の豊かさ、欲を言えば芸術性が欠けている。
●歴史の重み
21世紀は幸い20世紀と違って、戦争の少ない世紀であった。特に日本は20世紀の苦い経験から作られた憲法に守られて、外国人との紛争はことごとく経済問題として解決を図ってきた。その経済的負担はかなり大きなものがあったが、国民は良く耐え、その道を選んだ。その方向を選んだ背景のひとつに、20世紀の戦争の悲惨な歴史の記憶と、それと連動する破壊を嫌悪する気持ちがあったことは否めない。20世紀の戦争は日本民族の貴重な遺産を数多く灰燼に帰してきた。日本人は20世紀後半の50年にそのことを実感し反省し、21世紀の出発の時点で新しい方向を模索しながら全てを築きあげなおす事に決意したかに見える。
20世紀もおわる頃。環境問題の壁にぶつかり、地球全体のことを考えつつ日本という地域性をどうやって残すか、環境問題ののひとつのがテーマである(種の多様性)を守るが如く、文化や民族の多様性を如何に残すかに多くの人が心を砕くようになった。その結果、20世紀末の時点での建設遺産の保持と建設の新しい方向が打ち出された。それは建物の使い捨て文化からの決別と、良好な資産の形成それに伴うメンテナンスの徹底である。その事によって21世紀に入ってからの建物の寿命は一挙に4倍になり、現在建っている建物の3分の1は西暦2020年前に建てられたものである。現在の建物の使用年数は70年を越えようとしている。従って、建設産業の規模は金額べースではGDP対比約半分になっているが、労働人口比率ではまだ7%程度の人が建設産業に関わっている。しかしその業務の内容は大きく変わりメンテナンスやリフォームが中心である。建物の多くは20世紀や21世紀初頭の色々な歴史を刻み全てが歴史的建造物の感がある。特に21世紀初頭に建てられた建物街並みとの整合性が図られ、街々が個性的な文化と歴史も主張し、それぞれが魅力を発散しているようである。特に建物そのものの歴史も尊重され、メンテナンスの状況とともに、その建物の価値形成の重要なファクターになっている。
その考え方の背景には、人間にとっての居住空間の重要性が認識され、人間の意識行動に大きく影響するという考え方が広まったからであり、良い経歴を持つ建物は、そのような歴史を作り出す空間としての力があると考えられるようになったからである。反対のケ-スに考えられて敬遠される事もあるが、良好な空間は良好な空間としての正当な評価を得られることが多い。20世紀的な土地のみの評価は遠い昔の事になっている。
●コミュニティー
街並みが美しくなり個性をもち始めると人々は地球に対する愛着が大きくなる。地域に対する愛着は自然とその地域のコミュニティーのあり方を変える。街並みは主に建物によって作られるが、その建物の主は当然住民であり、そこに働く人々である。環境を守り、作り出すのもそういった人々である。建物に歴史を刻むのもその人たちである。住民のいない街は死んだ街といわれる。いくら建物がすばらしくてもそこに人がいなかったら魅力的な街にはならない。魅力的な街には魅力的な人が必要である。反対に街に魅力がなかったら魅力的な人は生まれない。街と人は相身互いである。相乗効果があるといえる。そしてもっとも大事な点は、街並みが美しくなると、建物を子々孫々にまで継承しようと考える人が多くなり街や建物を更に大切にするようになる、そのことはその街のコミュニティーを更に緊密な物にしていくと考えられる。緊密なコミュニティーは現在地方にしかありえないと考えられがちである。この街並みは共同体は都市部でも十分可能でありむしろ実現性が高い。この街並み共同体の良さは比較的なコンパクトな地域で考えられる事であり新タイプの共同体になりうる。良好な資産の維持発展という共通の利益のためお互いに協力し合う必然性があり、それを基盤的にその他の問題にも協力体制を組みやすい。例えば教育に関しても資産の引継ぎ手として子供をコミュニティー全体で責任を持って育てなければならないと考える面もあり、昔の村落共同体的側面も期待できるかもしれない。また各家庭でも子供に引き継ぐ何者もない都会人より田舎の人々のほうが生活の基盤として引き継ぐものが多いように、そしてそのことが家族の絆をより緊密にするように、都会でも同じ地域で生活の歴史が積み重ねられていけば、行き過ぎた核家族化にも歯止めがかかり人間関係の基礎である家族関係に明るいものをもたらす可能性が高い。家族からも地域の共同体からも阻害された若者や老人の精神状態がどんなものかは、現在多発する少年犯罪や、老人の孤独死、自殺の多さによって実証されている。
街並み共同体が実際どれだけの社会問題を良い方向に転換する力があるか計測は出来ないが、良好な生活空間と確固たる資産背景や暖かいコミュニティーの存在がマイナスの方向に働くわけは無いと思われる。21世紀初頭に転換されたものづくりの姿勢の転換は、100年後の今日確実にその成果をあげつつある。20世紀の後半に顕在化した環境問題は、結果として人類のあるべき姿を思い知らせその方向へ思いっきり舵を切り替えさせた。今ではCO2による地球温暖化の問題も最悪の予想の10分の1のレベルで収まっている。人類の英知が勝利したといえるであろう。
しかし、化学汚染物質の問題は目に見えない部分で人類の未来を脅かしつつある。人間はどこまでいっても神も存在を超えることは出来ないということはしっかり認めておかなくてはいけない。その上で、人知の及ぶ限りを尽くす。この結果については神の領域として甘んじて受ける以外に方法は無い。