●ホーム   

目次はじめに T.何故今永く愛される建物か U.永く愛されるには V.永く愛されるために W.永く愛される建物を作る為に提言) X.100年後の街並み Y.200年住宅を注文する エピソード  トピックス『ニューアンドクラフツ』 トピックス『建設環境コーディネーター』 トピックス 『土地問題と永く愛される建物』 トピックス『NPOと永く愛される建物』 トピックス『日本民家に学び直す』 永く愛される建物 まとめ」  

エピソード     

     石造建築の壊れた話

フランス、ブルゴーニュ地方モンパールの近くにルネッサンスの香りを今に残した瀟洒な館があり今は国立博物館だが、内部は愉快な風刺画で飾られている。館の主ビュッシ・ラビュタン伯爵が描かせたものである。彼はセヴィニエ夫人の従兄に当たる風変わりな武人、文人。セヴィ二エ夫人がルイ14世時代に書いた手紙は1300余通が今に残り、その機知に溢れた平易な文体がその後のフランス文学に大きな影響を与え、マルセル・プルーストの座右の書であったことは有名であるが、残念ながらわが国では其の30数通あまりしか訳されていない。(セヴィ二エ夫人手紙抄。井上究一郎、岩波文庫193)ところで、セヴィ二エ夫人と付き合っていた頃、ビュシ・ラビュタン伯爵は主にオータン郊外のジャズーの館に住んでいた。今は忘れ去られたこの地を訪れるのは全く酔狂な話し。ミシュランの地図でやっと探したこの小さな地名を見つけ県道から深く入る。近くの農家でトラクターで干草のドラムを整理している若者に{あの森が、ビュッシ・ラビュタンの館跡ですか}と聞くと{知らないね、只の廃墟さ!}と言う答え。
  草深い牧場を200メートルほど歩いて廃墟に入る。外郭は壊れ、切石の間に大木が根を下ろしている。同じく風刺画で飾ったと言われる広間らしい大空間に雑草が茂り、腰まで露にぬれる。建物の立派さに関係なく、人が住まなくなれば、石造建築でも300年でこんな姿になる。

 

     普通の家のはなし

伝統的地域社会ではどのような理由で伝統的な建物が残り、いまも建てられ続けるのであろうか。そのための調査を計画して学生二人ばかりに手伝いを頼んだ。そのうちの一人が調査対象の民家を何気なく普通の家と呼んだのである。我々余所者から見れば、全くこの地個有の建物であるのに!環境とは中にいるものにとっては当たり前で特に意識しないのかもしれない。もう一つ、鳥取県赤崎町の光という集落の調査の時の事、そこの出身の学生にその部落にある{鏝絵}の事を聞いてみたが知らないという。20世紀初頭に生まれたこの集落の一左官屋が残したものでどの家も、打ち出の小槌、滝登り鯉、巾着などそれぞれ工夫を凝らした衣装で飾っているのに。これらは彼が移動手段に使っている自転車で行ける範囲にしかないのに。見ていないわけはないのであるが、学生にとってはあまりにも見慣れた風景であり、当たり前すぎて意識していないのであろう。風景とはそんなものかも知れない。アマゾンの原住民は森を意識しないといわれる.彼らには密林が全世界であり、それを客体化する必要がない。{景観}とは日常環境の客体化であり{文化}への転換なのである。

 

     看板建築の話

子どもの価値観がどのように形成されるのか。恐らくは大人の社会の価値観を引きずってくるものと思われる。当時田舎で生活していた私にとってのあこがれ、文明は鉄筋コンクリートの建物であり、それが多いところは憧れの対象であり文明の地のように思っていた。その感覚がやはり大人と同じものであると気付いたのは終戦後の復興の頃である。
 地方の小都市まで焼け野原になり、その後、盛んに建ててられたのが各地の商店街に出現した所謂{看板建築}である。それは、表をモルタル塗りで隠して、一見コンクリート風にするもので、中身は木造バラックというものであった。見掛け倒しの最たるものである。最近、地方都市がミニ東京やミニ銀座化しているという非難は少し下火になったが、子どものころの憧れを思うとあまり非難できないなと思う。各街が個性を持てといっても難しいわけはこんなところにもある。田園都市や伝統都市の再生を言い募ってもなかなか簡単ではないのである。

 

     子どもの世界

街を考える時、子どもの存在を抜きにしては考えられない。我々の戦後育ちと比べて、今の子どもたちの生活に、確実に失われたものがある。その一つが、東京でも、地方でもある程度の街には、何となく存在した裏通りの一種混沌とした曖昧地というか、ミステリアスな場所である。そんなところでかくれんぼしたり、缶けりしたり、花火で遊んだりした思い出を同じ年代の人間なら大抵は持っているはずである。そんな遊びの中で子どもの社会が成立し、その中にもある種の規律があり秩序が保たれていた。長幼の序や、個性の発揮、認め合いなど人間が画一でない事、あるときは理不尽な事もあること、等遊びの中から自然に学ぶ事も多かった。何でも昔を懐かしむわけではないが、今の子どもたちは整備された街並みに群れる事もなく、コンクリートの箱の中でゲームにつかりきっている。子どもが集まるといえば、塾か習い事である。そこには子どもの世界はなく大人の管理下にある。昔の裏庭は全くの子どもの世界かというとそれとなく大人の目が在って、危険な事は事前に防いでいた。
  少年犯罪の多発が問題となっているが、この様な子どもの世界が失われた事が、人生には思うに任せない事、我慢をしなければならない事、努力をしなければならない事などを学ぶ機会を失なわさせている大きな要因ではないか。もう一つは、少子化による子どもに対する期待の重さが増した事、兄弟の間で学ぶ人間関係の機微を味わう事がなくなり、目の前から老人が消えて、死や老いというものを実感する機会がなくなった。
  そういったもろもろが街づくりや家作りを職業としている我々に責任がないといえるのであろうか。建築学会も子どもの事は非常に気にかけている。子どもの為の建築・都市12か条(資料2)を発表しているが、その中でも子どもの遊び空間の必要性を言っている。
  現代版、曖昧地の復活をどうするか、難しい課題であるが、応えは以外に自然の中にある。都市に生態系を含んだ自然を復活させることが解決のキーワードなのかもしれない。いずれにしても次の世代を育てる事は、何よりも優先されなければならない。