目次はじめに T.何故今永く愛される建物か U.永く愛されるには V.永く愛されるために W.永く愛される建物を作る為に(提言) X.100年後の街並み Y.200年住宅を注文する エピソード
トピックス『ニューアンドクラフツ』 トピックス『建設環境コーディネーター』 トピックス 『土地問題と永く愛される建物』 トピックス『NPOと永く愛される建物』 トピックス『日本民家に学び直す』 永く愛される建物 『まとめ」 エピソード * 石造建築の壊れた話 フランス、ブルゴーニュ地方モンパールの近くにルネッサンスの香りを今に残した瀟洒な館があり今は国立博物館だが、内部は愉快な風刺画で飾られている。館の主ビュッシ・ラビュタン伯爵が描かせたものである。彼はセヴィニエ夫人の従兄に当たる風変わりな武人、文人。セヴィ二エ夫人がルイ14世時代に書いた手紙は1300余通が今に残り、その機知に溢れた平易な文体がその後のフランス文学に大きな影響を与え、マルセル・プルーストの座右の書であったことは有名であるが、残念ながらわが国では其の30数通あまりしか訳されていない。(セヴィ二エ夫人手紙抄。井上究一郎、岩波文庫1943年)ところで、セヴィ二エ夫人と付き合っていた頃、ビュシ・ラビュタン伯爵は主にオータン郊外のジャズーの館に住んでいた。今は忘れ去られたこの地を訪れるのは全く酔狂な話し。ミシュランの地図でやっと探したこの小さな地名を見つけ県道から深く入る。近くの農家でトラクターで干草のドラムを整理している若者に{あの森が、ビュッシ・ラビュタンの館跡ですか}と聞くと{知らないね、只の廃墟さ!}と言う答え。 * 普通の家のはなし 伝統的地域社会ではどのような理由で伝統的な建物が残り、いまも建てられ続けるのであろうか。そのための調査を計画して学生二人ばかりに手伝いを頼んだ。そのうちの一人が調査対象の民家を何気なく普通の家と呼んだのである。我々余所者から見れば、全くこの地個有の建物であるのに!環境とは中にいるものにとっては当たり前で特に意識しないのかもしれない。もう一つ、鳥取県赤崎町の光という集落の調査の時の事、そこの出身の学生にその部落にある{鏝絵}の事を聞いてみたが知らないという。20世紀初頭に生まれたこの集落の一左官屋が残したものでどの家も、打ち出の小槌、滝登り鯉、巾着などそれぞれ工夫を凝らした衣装で飾っているのに。これらは彼が移動手段に使っている自転車で行ける範囲にしかないのに。見ていないわけはないのであるが、学生にとってはあまりにも見慣れた風景であり、当たり前すぎて意識していないのであろう。風景とはそんなものかも知れない。アマゾンの原住民は森を意識しないといわれる.彼らには密林が全世界であり、それを客体化する必要がない。{景観}とは日常環境の客体化であり{文化}への転換なのである。 * 看板建築の話 子どもの価値観がどのように形成されるのか。恐らくは大人の社会の価値観を引きずってくるものと思われる。当時田舎で生活していた私にとってのあこがれ、文明は鉄筋コンクリートの建物であり、それが多いところは憧れの対象であり文明の地のように思っていた。その感覚がやはり大人と同じものであると気付いたのは終戦後の復興の頃である。 * 子どもの世界 街を考える時、子どもの存在を抜きにしては考えられない。我々の戦後育ちと比べて、今の子どもたちの生活に、確実に失われたものがある。その一つが、東京でも、地方でもある程度の街には、何となく存在した裏通りの一種混沌とした曖昧地というか、ミステリアスな場所である。そんなところでかくれんぼしたり、缶けりしたり、花火で遊んだりした思い出を同じ年代の人間なら大抵は持っているはずである。そんな遊びの中で子どもの社会が成立し、その中にもある種の規律があり秩序が保たれていた。長幼の序や、個性の発揮、認め合いなど人間が画一でない事、あるときは理不尽な事もあること、等遊びの中から自然に学ぶ事も多かった。何でも昔を懐かしむわけではないが、今の子どもたちは整備された街並みに群れる事もなく、コンクリートの箱の中でゲームにつかりきっている。子どもが集まるといえば、塾か習い事である。そこには子どもの世界はなく大人の管理下にある。昔の裏庭は全くの子どもの世界かというとそれとなく大人の目が在って、危険な事は事前に防いでいた。 |