景観問題こそ宝の山
コア東京 4月号掲載
21世紀は環境の世紀といわれているが、まさにその実感が身近になってきた。
家電リサイクル法などの施行は言うまでも無いが、自動車では、ハイブリッドカーが
売れているし、燃料電池による電気自動車が現実に走り出した。
一般製造業では、
製品開発にもう環境は欠かせない時代になっている。グローバリゼーションの荒波に
もまれて苦しんでいる日本の製造業の救世主が意外に環境問題であるという論議が
盛んである。新しいビジネスチャンスは今や環境にありということもいえる。
では、翻って、建設産業は環境問題ではどうなっているのであろうか。もちろん、
建設廃材のリサイクルの義務付けや、公共工事の新入札方式である綜合評価入札制度
に環境対策の項目が入れられるなど、環境問題は無視できない存在になっている。
しかし、基本的には、建設投資にブレーキを掛ける方向にベクトルが働きかねないもの
ばかりである。環境対策工事も無いではないが、他の製造業のように新しい分野として
産業界を引っ張っていくだけの力は期待できない。
では、明日の建設産業はどうなるのであろうか。建設投資は、60兆円を割り、16年
前の水準に逆戻りし、これからまだ5年は下降線を辿るという。その原因は、第一には
国や公共団体の財政状況にある。第二は、デフレ経済下の不況による設備投資に力が
無い。第三に少子高齢化や人口減少による投資意欲の減退である。
しかしこれらの真の原因を考えてみると、これまで建設産業界が行ってきた事がもと
になっている部分がある。“羹に懲りて膾を吹く”という言葉があるが、無駄な公共工
事の付けで財政を破綻させ、 ローンをして買った家が欠陥だらけであったり、出来上
がった街並みが欧米先進国と比べて、全く見劣りがするとか、産業としての信頼度はか
なり低い。よく家を建てるとき一生で一番高い買い物をするといわれるが、金額もさる
ことながら国民は不当に高い買い物をさせられているという観念が強い。これでは、
ローンの上にローンを重ねて、建設しようとはしない。今、不況の中で高級ブランドが
売れているという。そもそもブランドとは何か。簡単に言えば夢を売ることである.。
しかし、ブランドは、ささやかな夢を売る商売である。 有名なヨーロッパのブランド
は、庶民は持たないという。日本の若い女性がアパートからそうした高級ブランドを
下げてくるのを外人は違和感を持って見ている。ブランド製品を持つ事を悪いとはい
えないが、ささやかな夢の実現である事は間違いない。建設業界でも、マンションに
多少のブランドはある。 しかし、高級ブランドほどの力はない。あるとしたら、
田園調布ブランドや、成城ブランドであろうか。
高級ブランドの魅力の基本は、
品質、高級感、信用の三つである。長持ち、芸術性、希少性などいろいろな特徴を
持っているが、カード破産の原因が高級ブランドであったりするほどの魅力があるの
である。これを、今需要が減退している建設産業界に当てはめてみると、色々な違いが
分かる。第一に、信用が違う。談合などの不祥事、贈収賄、天下りなど枚挙に暇が無い
第二に、他の先進国の建設物に比べて耐用年数が短い。100年以上の耐用年数を持
つ建設物なら、30年経っても価値が変らず、ローンは貯金のようなものである。
第三に建設物に魅力が無い。その集合体としての街並みが惨めである。高い金を出して
高層マンションを買っても眺められる景色は雑然とした風景でしかない。ニューヨーク
のセントラルパーク周辺の高層マンションは価値が高いという。建物そのものに芸術性
が無く、街並みに魅力が無ければ高級感は無い。建設物の高級感は、周辺環境を含んだ
ものである。雑然とした街並みに一つポツンと豪邸があっても何の価値も無いといった
ら言い過ぎであろうか。いくら塀を高くしても、周囲の環境と無縁ではない。ロスのビ
バリーヒルズが有名なのは、映画俳優が多く住んでいるからではない。環境と街並みが
整っているからである。スケールが違うが田園調布や成城の魅力も共通のものである。
現在の建設産業の抱える問題の根本は需要不足にあるが国民が本当に望んでいる
夢の実現の為なら、需要はある。その夢とは、ビバリーヒルズに住むことであり、
セントラルパークの周辺のペントハウスに住むことである。はたまたイギリスの郊外に
あるマナーハウスに住むことである。高級ブランドを下げてでてきても恥ずかしくない
家や街並みを作り上げることである。この大不況の中でも、正月の海外旅行客の数は
史上最高の数だそうである。これは日本の街並みに魅力が無いのも大きな要因であろう。
海外旅行や、高級ブランドに金を使うより、立派な住環境を手にいれたいと思う人は多
いはずである。これまでの建設産業は、そういう人たちの期待に応えてこなかった。
家の中にものが溢れ、座る場所も無い汚い部屋から高級ブランドを下げて出てもしょう
がないと心の中では思っているはずである。そろそろ結論を言わなければならない。
日本に1500兆円の金が寝ている。金はある。その金は将来の不安に備えて貯められ
ているのであろうが、価値の減らないものに対してなら投資はするはずである。
良い環境とその中に建つ200年住宅なら確かな買い物であろう。
絶対に.価値が下がらない保障があれば、子孫に借金を残しても心配ないであろう。
しかしそれには、建設産業界が信用される業界に変らなければ、誰も虎の子の金を投資
してはくれない。また、アメリカのように中古市場が確立し、由緒ある建物や環境に価
値がつく状況を作らなければならない。結果として、素晴らしい街並みや景観が出来上
がれば、国民全体の資産になる。去年出された国立の高層マンションの景観問題に対す
る判決は画期的であるという意見があるが、私は早すぎた判決であると考えている。
私権の制限を含んだ景観問題は、もっともっと多くの議論を必要としている。
国民的合意を形成する努力が足りない。司法の判断を積み重ねる前にやる事がたくさん
ある。住民や、消費者や、ディベロッパーの間で景観に対して合意形成が出来ていなけ
ればならない。法律はそれを保障するべく、作られれば良いのである。夢の無い建設業
の再生は、国民の真の夢の実現、即ち、景観問題を含む美しい住環境、生活環境の実現
を目指す事である。その為には、建築士は、個々の土地の中に完結する芸術作品を作る
のではなく、連続した街並みとしての美しさを追及するべきであり、単なる個性の発揮
は慎まなければならない。住む事に憧れを持たれる街づくり。その為の個々の建設活動
にしていけば本当の夢の実現のために国民は再度、建設にエネルギーを注ぎこんでくれる。
“信なければ立たず“、”夢なければ建たず”である。
ここまで論を進めてくると景観問題も広義の環境問題であるといえる。
やはり21世紀は環境の世紀である。