消費者に信頼される事業者になる為に よくビジネスは戦争であるとか,ゲームであるとかそこには勝ち負けが必ず存在し,適者生存敗者死滅,従ってビジネス戦争はサバイバル戦争であるといわれる。戦略,戦術という言葉があたり前のように使われ、競争のみが社会を進歩させるといいつづけられてきた。その結果が不祥事の山である。生き残る為には手段を選ばない。勝つ為には止むを得ない事として目を瞑ってきた事が二十一世紀の社会変革の波に押されて押し出されて来たウミ,それが今日の不祥事であろう。従って,現在、表ざたになっている事柄は氷山の一角に過ぎないという感じは筆者も同感である。 確かにこの指針を読んだ第一印象はここまで手取り足取りしなくても産業界にも自浄能力はあるであろうという気もしたが冷静に考えると、現状ではこの指針を広めて流れを変えるきっかけにする必要があると思うようになった。そしてビジネスの基本的な考え方を消費者保護というより,生産者側から消費者側へと経済の基本を変えなければならない。言うなれば全ての企業が社会貢献だけを目的にしていかなければ日本社会は変わらない。生き残りをかけて競争しているのは生産者側の問題で消費者側には関係がない。社会に必要が無くなったものは静かに退場すればよいだけで死に物狂いの戦いをする必要はないのである。役割を終えたものが出来るだけ静かに退場できる社会システムに変える方法を考えなくてはいけない。それは社会全体のためにもなる事である。 ビジネスの基本は社会や人間に対する愛が基本であるべきで,進歩のためにどうしても競走(競争ではない)が必要なら,社会に対する思い入れの深さで競走すればよいのである。そして敗者は静かに退場し、再び新しい愛の形をはぐくめばよい。最後は書生っぽい議論になってしまったが、現状を変えなくてはいけないと誰もが考えていると思う。しかし、現状の状態がこのまま続くと下手をすると再び規制強化論が高まり、ひどい場合は、あの戦前の警察国家がやってこないとも限らない。ここで書生論を含めてビジネスのあり方、経済のあり方を考えてみても無駄ではあるまい。エコノミクスの原語はオイコノミコスというギリシャ語で、生活のあり方という意味だそうである。経済学は身近なものであるべきである。 |