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 今こそ技術者倫理の確立を
                    

 二十一世紀の最初の一年が過ぎて、この新しい世紀の幕開けが夢に満ちたものでなかった事は誰もが認めざるを得ないことであろう。国内を見ても長引く不況、痛みを伴う構造改革、財政の逼迫、高い失業率、倒産と枚挙するだけで疲れてしまいそうである。国際的にはアメリカの同時多発テロをはじめとする国際紛争の深刻化、世界同時不況の進行など明るい話題を探すのはきわめて困難である。新しい年を迎えて去年を振り返り嘆き悲しむのが本稿の目的ではない。しかし、いろいろな悲劇の中に事の本質を探し少しでも具体的な解決策を見出していかなければ物事は一向に良くはならないであろう。その為には思い出したくない事柄も再度見つめなおす事も必要であると思う。何と言っても昨年の記憶に一番強く残っているのはニューヨークのワールドトレードセンタービルの崩落であろう。予想外のテロとは言えあれだけの摩天楼が一瞬のうちに崩れ落ちると予想した人はいなかったと思う。技術者の一人として何故か非常にむなしい思いを感じたが勿論設計や施工に問題があったと考えているわけではない。ただあまりにもあっけなく崩壊し、そしてあまりにも多くの人を犠牲にしてしまったことに対して言い様のない苛立ちを感じるのである。あんなテロ攻撃にも万全な構造物を作るわけには行かないが被害をもう少し限定的にできる構造にしておけたらと悔やむ人は多いと思う。無いものねだりのような気がしないでもないが、技術者の役割を考えると、これまで技術者はあまりにも物事を考えなさ過ぎたように思う。即ち、これまで技術者の役割はクライアントの求めにできるだけ忠実に応えるものと教えられてきた。しかし、これからの技術者はクライアントの求めに無批判に応えるのではなく幅広い社会的な視野を持って信ずるところを行う必要がある。今から思えば摩天楼なるものが人間的な施設であるかないかはよく考えてみなければならないであろう。一端事故あるとき避難に1時間もかかるのは安全面で万全とはいえないという意見もある。
更に環境倫理に目をむければこれまでの技術者のあり方に問題が無かったといいきれる人は少ないであろう。二十一世紀の技術者倫理の中身はこれまでのように与えられたものを技術的良心に基づいて忠実に作ればよいということではない。これからのグローバル化された世界の中では環境問題も地球レベルで考えなければならないし真の解決の為には人種問題や南北問題までも理解した上で仕事を選ばなければならない。しかし実際はこんな高度なレベルの事まで要求されてもというのが現場にいる技術者の本音であろう。
確かに建設会社の倒産や、大規模なリストラにさらされているというのが現実の技術者が置かれている状況であろう。職をなくす不安にさいなまれながら直面する目前の問題をどうこなすかということに汲々としているのが実態であろう.実際はそんな高度なレベルの倫理問題よりももっと初歩的な倫理問題に悩んでいる技術者ばかりであろうと思う。バブル崩壊後ずっと過当競争にさらされている経営者も経営倫理の必要な事は分かっていても生き延びる為に多くのことに目を無っているのが実際であろう。建築学会が倫理綱領を出し、会報で倫理特集を組んだり、土木学会が新しい倫理綱領を出したり、事態の認識だけは進んでいるが実態はどうであろうか。建設産業が縮減していく今こそ技術者に倫理が求められているといったら単なる理想論に過ぎないという事で片づけられてしまうのであろうか。私事であるが日本経営倫理学会というところに所属している。経営倫理学では経営倫理の実践の為には倫理担当者を社内に置くことを勧めている。そこで建設会社にもエシックスオフィサー(倫理担当者)を設ける事を勧めたいが、あまり現実的で無いならば、両学会や様々な技術者の協会に倫理担当者を設けたらどうであろうか。倫理問題に技術者が悩んだ時の駆け込み寺である。学会や協会であれば単なる技術者倫理だけでなく経営倫理や環境倫理上の問題にも対処できる。学会のように独立性と権威のあるところにその様な組織があるだけでも技術者の不安や悩みは大分減ぜられると思うがいかがであろう。二十一世紀が倫理の世紀と良い意味で言われるように期待する。