新しい時代の求める事務所経営
コア東京(平成十四年10月号)
私事から始めて恐縮であるが、私は土木技術者出身で、建設関係でも施工
関係に携わってきて、設計事務所は兼務していたが建築設計の専門家ではな
い。正確に言えば、全くの素人ともいえないし、その道に明るいという事も
いえない。その様な前提で、興味があれば読み進んでいただきたい。
今、設計業界も大変な状況にあると聞く。原因は幾つかあると思うが、二つ
ほど挙げて考えてみる。第一番目は、恐らく建設投資全体の減少であろう。
この問題は、建築設計関係者だけではどうにもならない世の動きで建設
投資額の急激な回復は当分見込めそうにないことは誰も予想している事である
第二番目は、設計単価の際限のない低下傾向であろう。
この原因には、第一番目の問題が深く関わっていると思うが、その他にI・T化の
影響とか、グローバル化の影響とかが考えられる。
そんな事は全くの常識で素人談義に付き合っている暇はないといわれそうで
ある。 しかし、実際の建築設計のニーズは建設業界や建築の専門家が作る
のではない。現実にその建物を使う消費者がニーズを決めるのである。
今デザイナーズマンションが注目されているが事の良し悪しはともかく、成功
事例があることは事実である。
消費者のニーズが高度化し多様化している
ことの現れであると思われる。
私の関係している建設環境情報センターと
いうNPOでは建築の無料相談をやっているが相談内容に設計者への不満が結
構ある。任せたらとんでもない奇抜なものを作られたとか、使用者の細かい
ニーズに配慮してくれないとか、監理まで任せたはずなのに現場に来てくれな
いとか種は尽きないといっても良い。これらの事例をじっくり考えてみると、
全ては発注者である顧客のことを本当に考えて仕事をしていないのではない
かという感じがしてならない。
仕事が無い。単価が安いといいながら、消費者たる発注者の信頼を失う事ば
かりやっているのではないか。 現在の設計業界の現状は、手厳しいようで
あるが悪貨が良貨を駆逐しつつあると言える。コストダウンと称してI・T化を
進め個性の無い設計を推し進める。やはりコストダウンのために国外で設計実
務をやらせるとか、顧客のニーズから離れる状況にどんどん流されていきつつ
あるように思える。 ここら辺で、設計者とは何か、設計技術者の求められてい
るものは何かと言う原点に戻る事を考えてみてはどうであろうか.素人の私に
設計者の原点などとえらそうな事が分かるはずも無いが、建設倫理なる概念の
構築と実践を標榜している立場から、また、建築無料相談に携わってみて
二、三感じていることを述べてみる。
建築設計者の役割は言うまでも無く発注者の注文を出来るだけ忠実に図面と
言う(図面でなくとも良い)形のある情報に変えることである。これは恐らく
常識なのであろうが、出来るだけと書いたのは少し条件があるからである。
それは、建築と言う行為に何の制限も無く行えるなら良いが 実際の設計には
多くの制限がある。その最たるものが法令であり、予算である。
それらはどうしても満たさなくてはならない必要条件であるが、更に求められ
る条件や課題がある。
それが、現在急に言われだしている環境問題であり、
文化、芸術性の課題である。環境問題も文化の問題も
まだ法制化はされていな
いが、これから順次法制化される部分も多くなるであろう。法制化が一番最後
になる文化性についてもまちづくりの中で条例を作る所もだんだん出てくる。
環境は廃材の規制で既にリサイクルが義務付けられているものも多いが、
これらを全てクリアーしてその上で更に求められるのが芸術性である。
こうして考えてみると、設計者に求められている内容の深さは他の職業に勝
るとも劣らない内容をもっているといえる。医者の職業はかなり高度とされ
技術料も確り認められているが、
それらに匹敵する高度な専門職が建築設計業
と言える。よく医者は生命を扱っているから高度な職業であると言われるが、
建築だって大震災の時には国民の生命と財産を守る大切な施設である。
その大切な役割をお金で競争する事は出来ないはずなのに現実は激烈な値段競
争をやっている。アメリカでは技術業の宣伝をしないことと正当な対価を掲げ
る事が定められていて、 競争は技術力や実績で適性を競い合うべきであると
している。
こうした事と本来の設計の仕事の中身が益々高度になり複雑になれば建物の
総予算に占める設計料はもっと高くてしかるべきである。 特に景観や環境に
配慮した、しかも長寿命を達成する建物作りにはこれまで以上の設計者として
の力量が求められ、単なる図面画き屋では勤まらない職業である。 設計業の
基本に立ち返れば、 建設総投資が減れば減るほど設計にもとめられる内容は
高度化し設計費用は高くなってしかるべきである。とくにイギリスで一時期
盛んであったアーツアンドクラフツのような考えやまちづくりに良好な景観を
実現するためにはそれに応えられる芸術性と技術性を兼ね備える設計者の出番
が待望される。その方向に設計者が思い切って舵を切り替えなければ悪貨が
良貨を駆逐しつつある現状は変わらない。ただし、こんな声が聞こえてきそう
である。おまえの言っている事は理想論でしかも机上の空論でしかないと。
しかし本当にそうであろうか。世の中にあまた職業団体や協会のようなものが
あるが、その様なところが性根を据えて取り組めば出来ない事ではないはずで
ある。確りした理念と規範を作り、それに同意しない人には去ってもらって構
わないという位の強い信念であたれば時間は掛かっても何れは心有る消費者は
理解してくれるはずである。言うなれば真の顧客満足を目指せば、現状は決して
暗くは無い.少なくとも設計業界の展望は開ける可能性がある。それでも机上
の空論と言うならばそれは空論と言う側の問題ではないのか。
最後に、全てはNPOの自由気ままな意見でしかないし、半分素人の床屋談義と
思ってもらっても仕方が無いが、敢えて真摯に受け止めていただける方がある
なら、次ぎの言葉を贈りたい。
「建築は神の栄光の表現である」 ジョン・ラスキン