安全な国づくりのために このタイトルを見て、何を真っ先に思い出されるであろうか。それは人により様々な事柄になる。第一に、国際情勢や、それに伴うテロの恐怖を挙げる人もいるであろう。もっと身近な犯罪の増加や検挙率の低下、犯罪の凶悪化や低年齢化に思いを致す人もいるであろう。もっと心配症の人は地球環境問題を真っ先に考えが及ぶ人もいるかもしれない。そして昨年のように自然災害の多発に対する恐れを改めて強く感じている人もいるであろう。 この様に安全と一言で言っても職場の安全から、地域社会の安全、国際社会の安全、はたまた宇宙レベルの安全まで、人によって感じているところは大きな差がある。安全に暮らすということの大変さは改めて身にしみて感じる。交通事故に遭うことや、又食中毒や長期の薬害汚染や添加物に対する危険まで含めると、普通に暮らせることのありがたみは、それが失われてみないと凡庸な人間にはわからない。新潟中越地震の被害にあった人の多くの人からこの普通に暮らせることのありがたさを口にするのを耳にした。イラクや北朝鮮のニュースを見ても、犯罪被害者の嘆きを聞いてもその思いは近頃ますます強くなる。豊かで美しい国づくりという言葉も最近聞かれるようになってきたが言うまでも無くその前に安心して暮らせる国づくりが最優先であろう。 さて、最近、防災士という資格制度の事を耳にした。建設環境情報センターというNPOにかかわっている関係上防災という言葉に関心を持たないわけにはいかない。それで少し調べてみると、その名前から筆者が抱いていたイメージとは少し違ったものであった。防災士というからには、あらゆる災害に対する予防に通じている人を期待していたが、勿論、その要素が無いわけではないが、むしろ次の定義に述べられているように、基本は災害発生時の救助、救援が第一に考えられている。定義には「自助・互助・協働を原則として、防災の意識・知識・技術をもっていると認められている人」とある。認証をしているのはNPO日本防災士機構で、02年に内閣府で認証された団体である。設立のきっかけは阪神淡路大震災の経験がベースになっている。 現在既に5千人近い人が資格を取得しており、最終的には40万人の取得者を期待しているという。特に地方自治体や国の行政にかかわる人、教育にかかわる人の取得が期待されているようである。この機構が安全、安心なまちづくりに大いに貢献することは間違いないし、多くの資格取得者が出現することを期待してやまない。 しかし、表題の安全な国づくりのためには大切な要素ではあるが、大きな要素の一つではあっても抜本的な要素ではない。災害を減らす減災という言葉があるらしいが、その為の有効性は大きいが、災害そのものを無くすことは出来ない。それは機構そのものが認めているところである。 しかし建設関係者としては防災士という言葉を聞いたら災害に強い国づくりに貢献できる人のことを思い浮かべてしまうのではないであろうか。又、太古以来多くの建設関係者はその点で多大な努力をしてきた。特に河川の氾濫による洪水や、台風による高潮対策などは昨年少し被害が出たが、以前に比べてかなり被害の発生件数は減少してきた。 しかし、ゲリラ雨による中小河川の氾濫や土石流の発生など、無秩序な乱開発による災害の発生など新たな問題も起きている。昔は人の住まなかった危険な地域まで開発が及んだり、自然とのバランスを欠いた開発など災害が起きてあたりまえという状況もある。 建築基準法には危険地域という指定ができるようになっているが、私有財産との兼ね合いもありなかなか指定できないという。しかしそんな地域に住んでいても、いったん災害が起きれば国は何をやっているのか、行政の対応はどうなっているのか、など個人の自己責任を問う声は全く聞こえない。 中越地震のようにまさかということもあるであろうが、最近は地震の時期の予測は難しいにしても、地震の発生しそうな地域と被害の予測はかなりな精度でできるようになっている。東京に直下型の地震が起きたら被害総額と死傷者数は甚大なものになるという予測が出ている(中央防災会議専門調査会によれば、死者1万1000人、被害額何と112兆円になると予測)。 建設関係者の考える真の防災とは、この根本的な危険をいかに減らすかということにあるであろう。新しい耐震基準に対応するように地震対策を進めることや、木密といわれる地域の解消など、その他がけ崩れの危険の解消や、津波対策など根本的な安全なまちづくり、国づくりを進める責任が建設関係者にはある。 こんなことは筆者が言わなくてもわかっていると言われるであろう。しかし、あえて筆者がこの問題を取上げてみたのは防災士の活躍では、国民の安全と財産を守るという最終目的にとって欠けている議論があるのではないかと感じるからである。 それは、これまでの国づくりはある程度豊かな財政や、どうしようもない緊急性から悪く言えば場当たり的に行われてきた部分がある。しかし国や地方自治体の財政余力が限られていることが分っている今日、その限られた予算のなかから防災に充てるべき金額とその対象を国民的な合意を取り付けないと、公共工事悪者論が増大し真に国民にとって必要な安全の為の投資が後回しになりかねないと恐れるからである。 事故や災害が起きるとそれとばかりに我が田に水を引くのではなく、はっきりと優先順位をつけ、国民の合意形成の下、粛々と安全な国づくりを進めていく必要がある。その為の総合的な議論の場をまず作らねばならない。そして危険の度合いを情報公開によって国民に事実認識してもらう必要もある。 多分これはかなりの難問になるであろう。建築,土木その他多くの分野の賢人が必要であろう。そして、NPO法人日本防災士機構の防災士の活躍の場が無いようにするのが我々建設人の責任ではないであろうか。 |