公益通報者保護法と技術者倫理と武士道 6月14日公益通報者保護法が国会を通過し成立した。施行は平成16年からであるがともかく法制化されたことは大きな前進である。法律の内容は期待されていたものより通報先や対象法規など色々な面で十分でない点もあるが、それでもこの法律が誕生したことには大きな意味がある。とはいってもこの法律の成立のみで大きな実効性があるということではない。逆に期待が大きかったばかりに法律そのものの有効性には疑問が残るほどである。しかしそれでもこの法律の成立は現実の社会では大きな影響力を発揮することになると思われる。 それは従来の内部告発という言葉が公益通報という言葉に代わった点で顕著である。これまで内部告発というと“ちくり”、“たれこみ”、“密告”といった暗いイメージで受け取られ、語られることが多かったが、この法律の成立でその様なイメージから“世のため人のためになる行為”と前向きに受け止められることになったわけである。このことがこれまで村八分を覚悟しなければならなかった内部告発が一応正しい行為として差別や解雇という不利益を覚悟しなくてよいことにはなった。しかし実際にこの法律が正しく機能するかどうかは現実の施行の段階になってみなければわからない。個人的にはこのままでは十分に機能を発揮しないのではないかと危惧するものである。それはこの法律にあからさまに触れるような解雇や差別は起きないであろうが,目に見えない圧力が掛かるとか実質的な村八分になるとかが起こり得る。例えば下請けが公益通報した場合保護されないばかりか、いかようにでも理屈をつけて取引停止にすることが出来る。現実に食肉偽装事件ではその様な事態になって告発した倉庫会社は倒産した。今後も同じような事態が起きる可能性はいたって高い。 しかしこのように法律の実効性があまり高くなくてもこの法律の社会に及ぼす影響力はかなり大きいと考えられる。それは法律の実効性のことではなく社会の受け止め方が変わるからである。これまでは内部告発者に対して会社が解雇や陰湿ないじめを行うことが多かったが、会社ばかりでなくその告発者に対する周りの社会の反応も内部告発者には厳しく冷たい反応であった。極端なことを言うと危険人物扱いであった。しかし最近はこの法律が出来る前から少しずつ雰囲気が変わり始めマスコミなど社会の受け止め方は内部告発者に好意的になってきている。倒産した食肉偽装事件の告発者の倉庫会社は多くの人のカンパを受けて会社を再建したということである。このような一連の流れは社会を大きく変えることになる。いや、もう既に変わりつつあるといえる。 さて、ここで技術者倫理との関係であるが、技術者倫理には最初から公益通報の必要性が謳われ、警笛鳴らしは技術者の義務とされていた。しかし、自動車メーカーのクレーム隠しに見られるように日本の技術者にはこれまで組織の力が強すぎて警笛鳴らしはほとんど機能してこなかった。それに技術者倫理が言われだしたのもグローバリゼーションの進んだ比較的最近のことである点も内部告発が少なかった背景にはある。これまでは組織の為に隠したことを美談とまでは言わないまでもあまり厳しく問われなかった個人の責任が、この法律の発足で社会の目も個人の技術者に対して責任をより厳しく問われることになるのは予想されるところである。 言うなれば内部告発の舞台が公益通報の舞台に変わったのである。そこで活躍する役者は舞台が変わったことを強く認識して役割を演じなければならない。それでなくても社会的地位のあまり高くない建設技術者は、この機会に技術者の誇りと矜持を取り戻し,公益通報に積極的に取り組む必要がある。 舞台は変わって観客は既にその事を意識している。その期待に応えないで演技したらそれこそ技術者の社会からの信頼は崩れ再構築は不可能になるかもしれない。勿論、このままの法律では実質的な保護は得られないかもしれないということを覚悟してでも行動しなければならない。一時的には職を無くすかもしれないし、四面楚歌や村八分になるかもしれない。 しかしそれでも公益の為に尽くすのが技術者の使命である。それこそ“武士はくわねど高楊枝”である。武士の本懐は大儀に殉じて“死ぬことと見つけたり”と言われるように誇りと名誉のために利を求めないことである。忠義の概念は消えたが大儀の考えは変わらない。技術者はそもそも利を求めて動くものではないのである。青色発光ダイオードの発明者は発明者としては確かにえらいが、トロンの発明者は大儀に価値を求め技術者の鑑であると筆者は考える。 一時的に苦境にさらされても技術者の誇りと名誉の為には職を失うことを恐れない勇気。即ち大儀に殉ずる武士の勇気こそ、この混迷する現代社会に求められているものではないであろうか。またともすればグローバル化というアングロサクソンの価値観の敷衍に対して日本の伝統文化や精神を注ぎ込むという、あるべき道なのではないであろうか。今求められている根本は技術者倫理は公衆に対する深い愛情とそれに対する責任、そしてその実行の為の真の勇気ではないであろうか。これが題名の公益通報者保護法と技術者倫理と武士道の理由である。 |