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コンプライアンスとCSR経営の距離 

最近、建設関連各社でコンプライアンス室などの、法令遵守の為の組織を設ける会社が増えている。様々な不祥事が日常茶飯事のように発生して、報道されたり罰則を受けたりすることの多い建設業界では当然の動きで遅きに失しているといわれても仕様がないところである。ビジネスをするのに関連の様々な法令を守るのはあたりまえすぎて,法令遵守を叫ばなくては法を守れないのかといわれても仕方がない。しかし、法を破って市場からの退場を余儀なくされる他の産業では、消費者の対応が厳しく過剰なほどの反応が出る。それに比較すると,建設業界は法に触れる行為を行った企業でも多少のダメージは受けても隆々と営業を続けているケースもある。その理由については,おそらく他産業と消費者との関係のあり方が異なるとだけ申し上げておくにとどめる。これはこれで大きなテーマであるから,ついでに論ずるわけにはいかないからである。

さて、建設業界がコンプライアンスに真剣に取り組み始めた今、産業界全体では企業の社会的責任論が盛んになっている。CSRといわれるものである。そもそも企業は社会の公器であるという概念は古くからあり、日本の伝統的経営である暖簾の経営なども基本的には企業は社会的責任を果たすべきでその社会的信用を大切にするという考え方である。建設業界でも信用第一を謳う経営者は多い。請負の性質から当然である。従って,CSRについては何をいまさらという建設関係者も多いと推察される。それはそれでそのとおりであれば何も申し上げる必要はない。しかし,本当にそうであろうか。完璧に法律を守っているというだけではCSRは実現できないことは筆者がいうまでもないことで、法律が最低限の要求レベルであり、しかも完全なものではないことは多くの実例が示すとおりである。該当する規制や基準がないという理由かどうかはわからないが多くの事故を経験しながら死亡事故がおきるまで根本的な対策を行わなかった回転ドアや幼児の怪我を引き起こすまで点検すら行われていなかった団地の遊具の問題などは,コンプライアンスへの対応という発想では事故は防げない。これらの事故では管理者とメーカーだけが問題視されているがビルの建設に携わった建設会社も全く責任無しとはいえないであろう。技術者倫理でいう注意義務である。また、法律上問題がなくてもCSRから見て問題となる事件は多々ある。

例えば地下室マンションもそうだし,国立高層マンションの景観問題や各地の日照や電波障害なども建築基準法や都市計画法等の法律の枠内で考えていては解決できない。特に、貴重な過去の遺産の保存・保全・活用の問題は法律をはるかに超えた判断を要求する。これら全ての問題に対処し社会的責任を果たし信頼されていくことがCSRである。

今、都市再生の掛け声の下、各地で再開発が盛んであるが、経済最優先の超高層化や総ガラス張りなどの近代化建築がその地域が永く努力してきた街並みにふさわしいものかどうかなど文化の問題には法律は全く立ち入らない。その街の雰囲気を永いこと守ってきたのはそこに永く住んできた住人である。その街の持つイメージをぶち壊すようなものを作りながら,その街のそれまでの高級イメージだけを宣伝文句に使うのは法律に触れないがイメージの只取りであり社会的責任を果たすものではない。消費者が好むから仕方がないという言い訳があるが、それは先ほども述べた消費者の倫理の問題で他の機会に述べる。

目の前の発注者だけの顧客満足では企業の社会的責任は果たせない。これがいわゆるステークホルダー(関係者)経営といわれるものでありCSRに通ずるものである。建設産業も環境や文化を担う産業であるならば、一早くコンプライアンス経営から卒業して、CSRを目指す経営に切り替えなければならない。

今、新たな動きとして例のISOCSRの標準化を急いでいるというニュースも報道されている。勿論ISOがどうし様が関係ないが、日本の伝統的経営も基本的にはCSRを求めているのだから建設産業の急務である信頼回復のためにも,一日も早いコンプライアンスからCSRへの転換を、顧客満足から広い意味でのステークホルダーの満足を目指す経営に切り替えていただきたい。しかしその距離は考えるよりずっと大きいと思って頂いたほうが良いであろう。