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技術者倫理が社会を変える 

 建築学会が倫理規定を発表し,土木学会が倫理綱領を見直してから3年が経過した。この間,技術者倫理に関する動きはどのようであったか考えてみた。

先ず,特筆すべきは両学会が揃って倫理用教材を出版したことである。土木学会は昨年5月“土木技術者の倫理”を出版し、建築学会は“建築倫理用教材”を10月に出版した。両方ともJABEE(日本技術者教育認定機構)の動きを強く意識してのことと思われる。そしてかなりの土木、建築系の学科が技術者倫理教育を始めている。大半の大学は、JABEEの認定を考えてのことであろう。現在,筆者だけでも3つの大学で技術者倫理を教えている。

その内、ものつくり大学では“建設倫理”という科目名になっている。技術者倫理より少し幅広く倫理を捉えて教えているが基本は技術者倫理である。その他の大学でも、建設倫理という言葉を一部に使用した講座を設けているところも現れている。いずれにしてもJABEEを意識していることは間違いないが、JABEEの動きは、背景に国際化があることは言うまでもない。即ち、技術者のグローバル化である。国際的に通用する技術者の要請に応えるという大義名分に異論をはさむ余地はない。しかし、JABEEの言っていることはただ日本の技術者が国際的に通用するようにするだけのことではない。究極の目的は,技術者資格の世界共通化、相互乗り入れも可能な状態にすることである。このことは技術のグローバルスタンダード化を意味するとともに価値観のグローバルスタンダード化も意味していることに気づかなければならない。これは、実を言うと大変なことであると考える。

さて、どの学、協会の倫理綱領や、規定にはきまって公衆の安全や福利を最優先するという項目がある。その為には、忠実義務や、守秘義務も時には後回しにしなければならない。組織最優先にしてきた日本の技術者にとってはコペルニクス的転換であるとも言える。実際の行動としては公衆の安全や健康、福利の為にはホイッスルブロウワー即ち警笛ならしをしなければならないとされている。いわゆる内部告発の勧めである。筆者も、各大学ではこのことは力をいれて講義をしている。何故ならば、技術者個人としては、場合によっては刑事責任を問われることもあるからである。これまでは会社のためにしたことならば会社が守ってくれるという考え方もあった。しかし今は会社と個人の関係は変わりつつある。話は技術者倫理から少しずれるが、最近、企業に所属する技術者、研究者が自分の発明した技術の成果の配分方法に不満の声を上げ始めた。会社と個人の関係はこれまでより乾いた関係になりつつある。成果に対する配分でもめるのはまだいいが、罪や責任の擦り付け合いでも、これまでの企業と個人の関係はずっとドライになりつつある。もう会社は個人を守れないと考えておかなければならない。この点は、学生にもきちんと伝えておかなければ教育の責任は果たせない。

もう一つ、個人と組織の関係で技術者倫理に含まれている重要な点は職能団体に対する協同義務のあることである。日本ではこれまで、個人の職能団体は数々あったが、所属する組織に対してよりもその協会に対する忠誠心を求めてはこなかった。しかし欧米の様々な倫理綱領を見てみると、明らかにロイヤリティーを職能団体は強く求めている。また、欧米の個人主義的な社会はその様な形でこれまでやってきた。技術者の根っこは、職能団体において,会社はその都度必要に応じて替えてきた歴史がある。貴方の職業はと聞かれて,何々会社のサラリーマンですなどという答えは彼等には意味不明である。返事は当然、何々の技術者であると答えなければならない。イギリスでは個人の最も大切にするのは会社における個人の評判ではなしに、所属する職能団体に於けるその人に対する評価であるという。会社との折り合いが悪くなっても、職能団体での評価が高ければ職に困ることはない。そういう社会で作られた技術者倫理であることを肝に銘じておく必要がある。即ち日本の社会とは違う世界で作られた技術者倫理である。このことを無視して無修正で輸入した感のある学、協会の倫理綱領や規定が多いと感じるのは筆者だけであろうか。

 このような矛盾を抱えて、誰もその事を言い出さないのは,所詮インドから伝わった仏経典を中身も知らずにありがたがっていたようなもので、所詮は飾り物だからこれで済んでいるのかと勘ぐりたくもなる。技術者倫理をまともに捉えると“社会が変わる”というのが実感である。

私事であるが、昨年は二つの技術者の団体で話をさせていただく機会を持った。テーマは“技術者倫理が社会を変える”としたが、どのように受け止めていただいたか分らない。短時間で言い尽くせなかった気がして、これまで書き溜めたものと併せて本にしてみた。近日中には出版の予定である。宣伝になって恐縮であるが、当新聞社の発刊で“はじめに技術者倫理ありき”というタイトルである。手にとっていただければ幸いである。