巨大プロジェクトを考える

 20世紀後半の日本は巨大プロジェクトが数多く完成した時期であった。50万kmに及
ぶ高速道路網から新幹線
,本四架橋,各地の都市高速、青函トンネル、東京湾横断道,原発など
など枚挙に暇が無い。戦争直後の荒廃の中から今日の状況まで建設に次ぐ建設の歴史であっ
た。これらの巨大プロジェクトに共通しているのは計画と実行の結果の差が大きくなりがち
な事である。それぞれ必要があって計画され実行されたものであるが
,実行にいたる判断は
その時点での費用対効果の結論でゴ―サインが出されたものであろう。しかし、例えば
,
戸大橋の場合、工法自体未知の部分が多く計画から着工まで10年近い年月が過ぎ
,しかも
着工から完成までやはり10年の歳月がかかっている。その間この建設に携わった人は述
べ900万人になるという事である。しかも本四間には3本のルートが着工され完成して
いる。  当然色々な面で当初の計画とは異なってきているであろうし
,その為の軌道修正
もそれなりに行われているであろう。その結果が許容の範囲であれば問題はないのである
が、必ずしもそうでない場合も多いと聞いている。
21世紀が20世紀の後始末の世紀に
なってしまうのではないかと心配しているが
,  21世紀にも同じような事の繰り返しをやっ
ていたら全くどうしようもないことになる。関西空港の第一期工事の地盤沈下の問題でも
,
 基本的に見通しの甘さが原因と思われるが、責任が問われたということを聞いた事が無い。
個人の責任を問うかどうかも含めて
,責任のとり方をきっちりと決めておかないと,同じ事が
何度も繰り返される事になる。ツケを国民に回す事になるこういった巨大プロジェクトの
進め方を今すぐに見直しておかなければならない。もうこれ以上ツケは国民にまわせない
状況が迫っている今日、一刻の猶予も無い。
さて,こういった巨大プロジェクトは一旦開
始すると止まらないといわれる。それは着工してある程度の金が使われると
,今まで使っ
た金を無駄に出来ないという理由でプロジェクトを責任を持って中止する人がいないので
ある。また途中でプロジェクトの是非をチェックするシステムもない。そして完成してか
ら慌てる事になる。ではどのようなシステムが良いのであろうか。全くの私案ではあるが
次に述べてみる。
まずは入り口である。これまでは国の開発計画である,全国総合開発計
画が練られて
,それに乗っ取って地方の計画が練られていく。第一歩はこれを逆転する必要
がある。国土のバランスある開発がうたい文句であろうが
,バランスをどうやって決めるの
か、人口がバランスよく国土に散らばるわけはないのと同様に
,開発をバランスよく散らば
らせる事は所詮出来ない。
,居住地の選択は自由でなくてはならないから人口比重による開
発整備のほうがより説得力がある。
そうは言っても,人口比率だけでは都市部の開発が進み
更に人口が集中するから緩和の措置は必要であろう。そして
,地方で計画を練り上げる時に
十分な住民参加とプロジェクトに対する地方の負担を明確にしておくことであろう。
無責任な計画のツケはそこの住民自身が負担する覚悟でやるほうが良い。新幹線の新設駅
のやり方や
,一部のローカル線の存続などの例もある。
  次に,実際の計画から実施にかけて,計画の見直しを,毎年毎年やるしかない。大きなプロジ
ェクトでも
,少しずつの軌道修正なら出来ない事はない。根本的な中止などはかなり難しい
が規模の調整程度ならいつでも出来る事であろう。それでも
,最初の計画で突っ走るよりは
良い。建築のプロジェクトの場合単年度ないしは
2~3年でプロジェクトが完了するケース
が多いが
,プロジェクトの計画対比で実行の実績は99%と100%に近いそうである。
従って短期短期の見直しとチェックでかなりの狂いは防ぐ事が可能である。 問題は
,社会
のニーズが急に変化した場合である。人間は全知全能ではないので
,そのような事の生じる
可能性は十分にありうる。この場合は、逆に
,個人の責任をあまり追及しないほうが対処し
やすいであろう。この見直しは第三者機関にやらせなければ難しい。屋上屋の面もあるが
会計検査とは違った観点からの見直し作業をやるのであるから
,必要な専門家もおのずから
異なるであろう。もちろん最終的な結論を出すのは政治であるべきであろうが
,その場合や
はり地域住民の声を生かすシステムが肝心であろう。
 いずれの段階でも情報の公開と自由な議論の保障が大事であり
,今よく言われるアカウン
タビリティーが求められる事は
,プロジェクトを中止する場合でも当然である。どんな場合
でも完全な方策はないのであるからプロセスを大切にする以外方法はない。
21世紀は環境問題を現実の問題として抱えているだけに,計画の段階から慎重の上にも更に
慎重に全ての計画がなされなければならない。公共工事は無駄が多いといわれるが真に喜ば
れる公共工事に変える努力が求められている。