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 PFIPINPO

   PFIの論議が盛んである。概ねは新しい時代の公共サービスの担い手として大いに期待するという論調である。小泉首相の構造改革路線にも合致し,財政問題も難なくクリヤーし,そして民間のノウハウを活かしてコストダウンも出来る。なんか良い事尽くめでまさに新時代のエース的手法であるとの意見が多い。具体的事例も出始めて,色々な問題も解決され、これから一挙に勢いが付いてきそうである。勿論,一方には慎重な見方も出ているが。どちらにしても確実に根をおろし始めている事は間違いない。筆者もこの流れにとても逆らえそうにないと思うし,また逆らうつもりもない。しかし,そうはいってもこの流れに乗って流れにうまく竿をさすつもりもない。勿論筆者の立場ではいかなるPFIに参加する事も出来ないからではあるが,それよりもNPOの立場が何かPFIと相容れないものを感じさせるからである。
  PFIというものに注目が集まったのは,名前にあるように民間の資金導入を図り公共サービスを税金を使わないで行える点に期待が寄せられたからであり、その真の原因は,過去の公共サービスのあり方と野放図な公共事業による財政破綻の恐れが出てきたからである。
先ず,第一の民間の資金を使う事は,現在の財政状況ではやむを得ない事であるし,税金で取るか,サービス料で受益者負担とするかの違いでありそんなに問題にすべき点はない。しかし,もうひとつのこれまでの公共サービスのあり方の問題に対しては,やっと納税者が目覚め始め,発言をし始め,行政もアカウンタビリティーとかPI(パブリックインボルブメント)とか言い出して,新しいフレームが作られ始めたところである。そしてその新しいフレームにNPOも参加の道が少しずつ開きかけてきたかなと感じ始めたところである。
 そもそも,公共サービスが肥大化した原因は一体何処にあったのかという点が真っ先に論じられなくてはならない。現在民営化が取りざたされている各種事業は,よくよく考えてみると最初から民間でやればよい事が多い。学校,病院,保養関係,レジャー関係など,今から考えると公共でなくてはならない必然性は低い。しかし中には国防,警察,消防,などサービスにばらつきがあったら甚だ困るものも多い。本当に公共でやるべきサービスと民営化してよいサービスを国民的議論を経て先ず第一に決める必要がある。その点で,PIが必要であり確りした説明もなされなくてはならない。そしてそのPIの一端をNPOがになうべきではないかと考える。現在のPFIの動きでは,PFI事業に移行させるものが極端に言えば行政サイドの一方的考えで打ち出されており、PFIの内容の選定や事業者の決定も行政サイドで決められているのが現状である。その決め手は,現在の方式では経済性がどうしても優先され,国民が本当に必要としているサービス内容であるかどうかの議論が二の次にされる恐れがある。その恐れの由縁はPFI事業者のコンソーシアムの中心に座るのが金融関係が多い事から感じるのである。筆者は別に金融関係に偏見があるわけではないが,これまでのバブルの発生と崩壊の過程で金融関係の取ってきた行動がこのような公共サービスを取り扱うのにあまり適切とは思えないからである。
  PFIを実施に移し,実りあるものにする為には,真の国民へのサービスは何が必要で,どのようになされるべきかという議論が真っ先にこなされなくてはならない。PFI事業化する際には、長期的視点に立って経済的視点のみならず国民の福利の増進に真に繋がる事業の内容と事業者の選定をお願いしたい。最後にもうひとつ念を押しておきたいのは,PFIは契約が決めてであるという。しかし過去の行政サービスが国民の状況によって大きく変化した様々な事実を考えれば,短期的視点で考えた民営化が最適解である保障は何処にもないということ。それに,民間の最近の不祥事の多発を見れば,官が信用ならないか、民がより信頼性が高いかなど誰にも分からないとしかいいようがない。大切な公平であるべき公共サービスを必ずしも永続性の保証のない民間事業者に契約があるからといって長い期間ゆだねてよいものかどうか。官の場合は国民による直接の監視や選挙によるコントロールの手段も保障されているが。.国民の最後のよりどころである国家や自治体が時流に流されて軽軽な判断をされない事を切に希望する。

      日刊建設工業新聞  2003年3月 7日掲載   専務理事  鈴木啓允